米沢市赤芝羽黒神社「虎列刺菩薩碑」

先週テレビの県内ニュースと新聞で紹介された米沢市赤芝羽黒神社の「虎列刺菩薩碑」です。
実家両親を誘って参拝に行ってみました。

わが実家はみな米沢生まれ米沢育ちですが「赤芝の羽黒神社?わがんねー」と誰一人
その神社の存在を知りませんでしたのでネットで検索すると
「館山浄水場から赤芝部落を見下ろし左側 山懐に鎮座する羽黒神社」の一文をみつけ
米沢市内から小野川方面へ向かって車を走らせました。
1回通り過ぎてしまい小野川温泉までいってしまいましたがUターンして赤芝地内の神社をみつけました。
人生で100回以上この小野川街道を通っていますがここに神社があったなんて気にもとめたことなかった。
「赤芝児童公園」の隣に神社があり、そこに広い駐車場があり車が数台停まっていました。
そこでおしゃべりしていたおばぁちゃん2人に「ここって”コレラ菩薩”のところですか?」と尋ねると
「んだんだ、あのあがってったどごさあんなよ~」と教えてくれました。

舗装されていない道を登っていくと山門があり、手水場があり、また神社がありました。
小野川街道からみると木々に隠れていて神社の姿はさっぱりわかりません(><)
目的の「コレラ菩薩碑」があるのは神社に向かって左奥(矢印の場所)
KIMG0519.JPG

高さ1メートル弱の石に「虎列刺菩薩」「一村安全」と彫られています。
その昔全国的にコレラが蔓延し米沢市内でもコレラが流行した時に慰霊や終息祈願で
建てられたのではとのこと。
米沢では白布温泉を訪れた旅行客から伝染したとみられ、川の流れに沿って赤芝地区、
窪田地区など下流に広がったそうです。
船舶の上陸禁止や県境の遮断などの措置も取られたそうで、まったく今と状況は同じです。
台座のところにお賽銭があがっていたので私たちもお賽銭をあげて手をあわせました。
KIMG0521.JPG

神社敷地内には「疱瘡菩薩」とか様々な碑がありましたが、目を引いたのはこの「首なし地蔵菩薩」
なんで首がないかの理由を「コレラ菩薩碑」の前に立っていたIDカードを首から下げた
パンツスーツ姿の女性が説明したくれたのですが、
なんとも欲深な理由で昔の人が地蔵の首をもっていったのだとか…。
(この女性の方は教育委員会の学芸員なのかしら??)
KIMG0522.JPG

なんとも不思議な神社でした。

===以下は2020.04.24山形新聞webより抜粋====
米沢市郊外にある虎列剌菩薩(コレラぼさつ)の石碑。復旧の取り組みからは、
近隣住民が未知の疫病を乗り越えるために心を一つにしてきた、連帯の精神が垣間見える。
  1879(明治12)年のコレラ流行の際は、全国で10万人の死者があったとされ、
現在の米沢市赤芝町の地域だけでも19人、米沢全体では数百人が死亡したという。
同町の羽黒神社の「虎列剌菩薩」の石碑は同年中に建てられており、
「虎列剌菩薩」「明治十二年八月三日」「一村安全」の文字が入っている。
米沢では白布温泉を訪れた旅行客から伝染したとみられ、
川の流れに沿って赤芝地区など下流に広がった。
  この石碑や感染症の歴史について詳しい市立米沢図書館の青木昭博副館長によると、
米沢周辺ではコレラや天然痘などの感染症と闘ってきた人々の記録や史跡が多く残る。
米沢藩9代藩主上杉鷹山も実子を天然痘で亡くしており、
羽黒神社境内の虎列剌菩薩の近くには、疱瘡(ほうそう)(天然痘)神社の社も並んでいる。
  コレラが“死の病”と恐れられた明治の流行期、死者の出た家は周りに知らせず、
ひそかに川の近くや町外れに埋葬したと伝わる。予防法が分からなかったため、
終息を願って空砲を撃ったり太鼓をたたいたりした記録や、
遺体の埋葬を巡って傷害事件が起こった記録も残る。
  青木副館長は石碑について「村人が共同で建てたのだろう」とした上で「患者が発生した家や村が排除されたり、
分断されたりといったこともあった。『一村安全』という言葉には、
慰霊や終息祈願だけでなく、分断を乗り越えて共同体を守りたいとの思いもあったのかもしれない」と語る。
  米沢の市街地から小野川温泉に向かう途中、赤芝町ののどかな集落の東側の斜面の上に羽黒神社は鎮座する。
虎列剌菩薩の石碑は、台風によって倒れた松の木によって隣りの文殊菩薩の石塔と共になぎ倒された。
地元では夏の例大祭までの復旧を計画していたが、今般のコロナの影響もあって町外からも多くの人が参拝に訪れていた。
倒れた石碑の前には新しい花も供えられており、「なんとか早く直さないと」と氏子たちが協力して計画を前倒しした。
  羽黒神社氏子総代の進藤俊彦さんは「石碑を見ると先人の思いをあらためて感じる。
このような歴史を知ってもらうのは意義あること。コロナが落ち着いたら多くの人に足を運んでほしい」と話している。
  ◆コレラ コレラ菌を病原体とする感染症。口から感染し、急激な下痢や嘔吐(おうと)による脱水症状などが起こる。
県史によると、1879(明治12)年の流行時の県内の患者数は1679人。1118人が死亡しており、死亡率は66.5%。
酒田では船舶の上陸禁止や、秋田県との県境の遮断などの措置も取られた。
5年後の84年にロベルト・コッホによってコレラ菌が発見され、大規模な流行は減少した。
===以上===

(202004.25(R2)訪)

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